フレーム使用していますごめんなさい。
せっかくなので、少しお話でもしましょう。
桜物語テーマとは微妙にずれるのですが、
見えているにもかかわらず見つからない、このテーマについて少しふれましょう。
こういうことは、日常的なことです。
見つけるという行為は、見つけようという意思が生じてはじめて存在するものです。
何気なく日頃見ているものは、色、形などインパクトに応じて、
潜在意識に蓄積されます。
そして、ある目的をもって人が何かを見つけようとしたとき、
その目的と潜在意識に蓄積していた何かがマッチすると、
人は既視感、「なぜかここに来たことがある?」などという感情をいだきます。
マッチング能力が高い人ほど、視野が広いといえるかもしれません。
人がものごとを判断する場合によくつかう、勘というものも多用な知識から
目的にマッチしたものを見つけだすことで、勘がきくとか、勘が鋭いといったことになります。
勘がいい人というのは、日頃から多くの事柄に目をやり、
潜在意識に蓄積したそれらのデータを、目的とマッチさせるという
2つの能力をかねそろえている人といえるでしょう。
桜物語の男は、このマッチング能力が少し足らなかったのかもしれません。